西成区の歴史【大阪市編入以降】

西成区の歴史 (Wikipedia)

【大阪市編入以降】

1925年の大阪市第二次市域拡張の際、

旧西成郡今宮町・玉出町・津守村・粉浜村が大阪市に編入されて、
西成区として区制施行した。区名は旧郡名に由来する。
大阪市第二次市域拡張に際して、当初は西成郡今宮町・玉出町・

津守村・粉浜村および東成郡墨江村・敷津村・安立町の区域をもって

「住江区」を設置する案が出された。
その後、区域を今宮町・玉出町・津守村・粉浜村に変更したうえで

「住之江区」とする修正案が出された。
しかし「住之江区」では隣接する住吉区と発音が似ているため紛らわしいという意見や、同時に大阪市に編入した旧東成郡域(旧住吉郡域を除く)が当初案の「城東区」から「東成区」に区名を変更したことを受け、
旧西成郡域でも郡名を残したいという意向が出されたため、旧郡名からとった「西成区」となった。
なお、旧西成郡域は伝法川 - 木津川間が大阪市第一次市域拡張の際に編入済だったため分断されており、伝法川以北が「淀川」を採用した結果、木津川以東の当区が郡名を採用することになった。
編入当初、4町村の中で最大の人口を擁する今宮町の影響力が強く、区名も「今宮区」になる可能性があった。
それに対し玉出町が、今宮町と粉浜村の中間に位置することを理由に「玉出区」を提案。
どちらを選んでも互いに遺恨が残るため、妥協案として「西成区」になった経緯もある。
区役所は1925年の区発足当初、花園町(現・花園南1丁目)の旧今宮町役場を使用した。
1927年に千本通3丁目15(現在の千本南1丁目3番、朝日プラザ付近)に移転し、
さらに1954年12月10日に西皿池町(現・岸里1丁目)の現在地に庁舎が竣工して移転している。
2001年12月には2代目の現庁舎に建て替えられている。
区発足当初の町名は、旧今宮町域では旧大字を引き継いだ37町、
旧玉出町・旧粉浜村・旧津守村についてはそれぞれ全域を玉出町・粉浜町・津守町とした。
1927年に旧玉出町域を12町に、旧粉浜町域を4町に分けている。
旧津守町域は1948年に町域を東西に分け、津守町東・津守町西の町名ができた。
1943年には大阪市の行政区の分増区に伴い、隣接する住吉区と区の境界を一部調整して現在の区域となった。
区南部の粉浜町のほぼ全域と津守町の一部を住吉区に分離するとともに、
山王町、松田町、聖天下、天下茶屋、天神ノ森、北加賀屋町の一部、桜井町の一部(当時の町名)を住吉区より編入した。
このうち、山王町、松田町、聖天下、天下茶屋、天神ノ森は旧東成郡天王寺村にあたり、
同じ区内に旧西成郡域と旧東成郡域が共存することになった。
1973年に住居表示を実施し、現在の町名に整理されている。


*画像は 現西成区役所

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